聖徳太子ゆかりの地をめぐる~叡福寺~Ⅱ

ここは素人の私にとり、
知らない事だらけのお寺であった。
法隆寺の南大門を模して作った南大門

前首相のおじいさんの寄付も目にした

多宝塔

聖徳太子がこの地に廟を造ることを決め、
推古28年(620年)に墓所を造営したといわれている。

翌年、太子の生母間人(はしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬り、
更に推古30年(622年)には太子と妃の膳手(かしわで)姫とが同時期に亡くなり、
この同じ墓に葬られ推古天皇が建立されたとされている。
結果、廟は三骨一廟の陵墓になった

向かって左の大乗木で運び、
その木を挿したところ
根付いたと言われている。

御廟を取り巻く石列の結界石の外側は
江戸中期の享保年間に建立され三部経が刻まれている。

内側は弘法大師が一夜の中に建立したとされる。
この結界石の数は何度数えても合わないという伝説らしい

廟窟偈碑は聖徳太子の遺書として
流布された

陵墓は宮内庁が管轄しているので触れないが

図面などをみて、三骨一廟の陵墓内部を
研究されているらしい。

叡福寺もボランティアガイドの方と
ご住職さんが説明してくださる。

聖霊殿には16歳像が安置してあるが残念ながら直接見えない。
その前には16歳像の絵があった。
何故か昔はまっていた山岸 凉子さんの
日出処の天子の聖徳太子を思い出していた。

鐘楼のドアも開けてくださった

ボランティアガイドさんも入った事のない
聖域を今日は
ご住職さんは開けてくださり、
中に入れてもらえ、
あちこちで靴を脱いだ。

このお寺は親鸞、弘法大師、他
仏教を極められた人が来た由緒あるお寺である。

一時間の所要時間設定ではあったが、
一時間では到底回れないお寺である。

ここに聖徳太子が眠っているとは驚きであり、
全く知らなかった。

それ以前に太子町が聖徳太子とかかわりがあることすら知らなかった私…

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